ATG映画

2005/10/01 — 第125号

60年代は、米国の人権運動、ヒッピー運動、ベトナム反戦運動、日本の学生運動が世界に波及した。若者たちの権力に対抗する運動が、全世界的に価値観を大きく変えた時代であった。◆この年代の日本の映画界は、TVに圧迫され産業として凋落の傾向にあった。興行的な見地から、芸術性の高い作品の輸入が途絶え、全国の映画館チェーンで公開するハリウッド映画一辺倒の上映になった。◆そんな時代、映画興行界の中で、質の高い外国作品を上映する映画館組織、日本アート・シアター・ギルド通称ATGが発足した。第一回公開作品は、62年4月のポーランド映画『尼僧ヨアンナ』であった。◆価値観の変化は、観客の映画選択肢の幅を広げ、やがて、洋画の芸術的な作品も一般映画館で上映されるようになり、ATGの初期の目的は達成した。◆一方、邦画の製作本数は激減し、芸術映画を製作する会社はなくなった。監督、俳優が中心になって、自ら映画製作に乗り出す独立プロが出現した。ATGは、独立プロに対して製作費1千万円映画を提案した。半分の5百万円をATGが出資し、映画館を提供するという内容である。第一回提携作品は、68年2月公開された大島渚監督の創造社が製作した『絞死刑』であった。◆ATGと提携、上映した映画は、日本映画の質的水準を維持したばかりでなく、既存会社では実現不能であった前衛的、実験的な作品を生み、大島渚、吉田喜重監督を始めとする多くの監督が海外で高い評価を得るキッカケになった。◆戦後60年企画第6弾として、ATG映画28本を10月8日から2週間特集上映します。ATG映画の“力”を観て欲しいと思っています。

— 永田稔