『光の雨』〈12/8(土)より衝撃のロードショー〉

2001/11/01 — 第31号

革命パルチザンが1972年に起こした、同志殺人事件をテーマにした映画の企画が進行していた。監督の樽見はその“革命戦士”たちと同世代だが、彼らを演じる若いキャストは劇中の「総括」といった言葉の意味がよくわからず戸惑いを見せる。それでも激寒の知床でのセットで撮影は順調に進んでいるかにみえたが、集団リンチを思わせる凄惨な総括シーンの撮影の後、樽見は突然姿を消してしまう……。■お気づきの方も多いと思う。革命パルチザンの同志殺人事件とはまさしく連合赤軍事件のことだ。武装蜂起を目指しながら山岳アジトで次々と同志を殺害し、ついにあさま山荘に人質をとって篭城、警察と銃撃戦を行なった、あの事件である。■だが実はこの映画は“あの事件”の再現ではない。学生運動も、事件のこともよくわからない若いキャストが台本を前にして、ある者は恥らいながら、ある者はやけ気味に「まるで分からない……」とつぶやく。一方で当時を知っている世代のスタッフは、映画のテーマとしての“あの事件”との距離の取り方に困惑する。つまり映画『光の雨』とは“いま”の中にある“あの事件”を巡るさまざまな視線の交錯だといえる。■当時を生きた一人でありながら監督・高橋伴明は、当時を特権的にノスタルジックに物語ることを自ら禁じた。この映画を観て事件への納得のいく説明を得よう思ったならば肩透かしを食う。劇中劇という作法を採用し、いまの時代の空気にさらされることにより“真相”とやらは宙に吊られた。■手かせ足かせを自らに課せながらも歴史と対面しようとしたその意志が呼んだものか。この映画の中に、思いかけず、わたしには、ある新鮮な風のようなものが感じられた。そしてその風は映画という真実かと夢想してみた。

— 矢田庸一郎