こわい言葉

2015/08/27 — 第318号

■「お久しぶりです」が、こわい。目の前の相手にまったく見覚えがないからだ。この二カ月で、すでに二回あった。お客様からの言葉ではない。目の前の相手の、はにかみつつも期待に満ちた表情を見れば分かる。この人は、この私の、個人的な知り合いだ。■チケットの半券を渡しながら「ごゆっくりどうぞ」を言おうと口を開いた私に、目の前の見知らぬ(はずの)相手は言う。「お久しぶりです」。開けた口をどうしていいのか、分からない。言うべき言葉が「ごゆっくり」でないであろうことは分かる。■きっと面識があるのだ(見覚えないけど)、「どちらさまですか?」って聞ける相手だろうか(失礼だからやめておけ)という脳内会議を経た結果、「……あーどうもー」と曖昧な笑みを浮かべてこちらも知っている風を装うという、姑息な作戦に出ることになる。■ちなみに冒頭の「お久しぶりです」は、一人が取引先の人(眼鏡がコンタクトに変わっていて分からなかった)、もう一人が新文芸坐の元オールナイトスタッフ(オシャレになりすぎていて分からなかった)だった。動揺を隠せていなかったであろう私に先方が名乗ってくれたのである。■久方ぶりの知人には「お久しぶりです」を言う際は詳細な名乗りを上げてほしいものだとしみじみ思う。私の心の平安のために。■しかし、いま私が恐れているのは、「お久しぶりです。●●です」と名乗られてもなお、その相手に心当たりがない、という事態に遭遇することだ。ミステリ、ホラー、ラブロマンス……フィクションならば、そこから物語が始まるのだが。

— 小澤麻梨子