11月15日より「勝新太郎映画祭」開催!

2003/11/01 — 第79号

勝新のデビュー作は1954年(昭和29年)の『花の白虎隊』。しかし主役は、やはりこの作品でデビューの市川雷蔵で、勝新はかなり脇の方。その後『弁天小僧』、『薄桜記』といった雷蔵主演映画でも勝新は脇に回っている。▲勝新が日の目を見るのは59年の『次郎長富士』、森の石松役。そして60年の『不知火検校』。極悪非道の按摩役で、今でいうブレイク。61年には『悪名』がヒットを飛ばし、ついに勝新時代の到来である。▲旧文芸坐では96年の正月興行で「勝新太郎ワンマンショー」を開催している。その時のチラシのコピーに“巷に勝新待望論あり!!”と。キネマ旬報の「日本映画人名辞典」によると、すでに92年の大麻事件の判決の頃から「型破りの言動とユニークな個性が若者たちの間でクローズ・アップされるようになり(中略)“勝新待望論”とでもいうべき空気が濃厚」となっていたそうだ。だが広くファンが渇望した勝新の新作はついに現れることなく、97年6月鬼籍に入る。享年65歳。遺作は90年の『浪人街』となった。▲勝新ワンマンショーの際、勝新は来館し、トークも行なった。映画評論家の白井佳夫と女優の朝丘雪路を従えて舞台に上がった勝新は、終始、上機嫌。満席立ち見のお客さんは湧きに湧いた。▲スターが、どこにでもいそうな等身大の存在である今と違い、勝新は総天然色、シネマスコープ映画そのもの。銀幕の大スターという形容でも収まりがつかない、桁はずれた巨人、という印象だった。▲多くの人が、勝新の、というより、本物の映画人の本物の映画を、渇望していたのではないか。そうした思いが、勝新という巨星に最後の望みを託した。それが、あの頃だったのではないかと思う。

— 矢田庸一郎