まんすりいコラム

新文芸坐落語会 二周年!!

2011/10/16 — 第241号

■おかげさまで新文芸坐落語会も二周年を迎えました。「新文芸坐落語会二周年記念 看板と若手たち」と題しまして、第一弾・立川志の輔さん、第二弾・柳家小満さん、そして11月の第三弾は立川談春さんにご出演いただきます。更に12月には毎年恒例となりました「高田文夫プロデュース 年忘れ!落語会うわさの真相2011」今年はどんなうわさが飛び出すのか、今から楽しみです。(チケット絶賛発売中!)■旧文芸坐ル・ピリエ時代は、ル・ピリエで行なわれる落語会(応用落語、快楽亭ブラック独演会など)をスタッフとして、照明や音響をやりながら聞くことができました。それまで落語をほとんど聞いたことがなかったのですが、一度聞き始めると面白くて文芸坐以外の落語会にも足を運ぶようになりました。でもその後ぱったりと落語を聞く機会がなくなっていたのですが、新文芸坐落語会が始まって以来、またまた落語熱が再燃!という感じです。■9月の池袋演芸場の中席・夜の部では最近お気に入りの柳亭市馬さんが主任を務めていたので、思わず3日も通ってしまいました。なんとそのうち1日は昼の部から夜の部までぶっ通しで。昼の部の主任は三遊亭白鳥さんの三題噺、その日のお題は「チャン・グンソク」と「傷心」ともうひとつ(スミマセン忘れてしまいました)、でも見事に白鳥ワールドが炸裂していました。■そして柳亭市馬ファンになったきっかけはとういうと「市馬・菊之丞二人会」で聞いた市馬さんの「淀五郎」です。声といい、しぐさといい、すっかりその世界に引き込まれてしまいました。この落語熱はまだまだしばらく続きそうです。

— 佐野久仁子


戦後技術的初物映画たち

2011/10/01 — 第240号

日本初のカラー劇映画と言えば『カルメン故郷に帰る』(1951松竹)が有名でお馴染みですが、他にも初物をいくつか。日本初のカラータイトル映画『11人の女学生』(46東宝映画)、第1回フジカラーフィルム使用短編映画『胃癌の手術』(47武田薬品、名古屋医大)、日本初のパートカラー劇映画『新妻会議』(49東横映画)、日本初のカラーニュース『天然色フィルムへの期待』(50日本映画社)、立体映画トービジョン作品『飛び出した日曜日』(53東宝)、第1回さくら天然色フィルム/コニカラーシステム使用劇映画『日輪』(53東映初のカラー映画)、日本初のイーストマンカラー劇映画・大映初のカラー映画『地獄門』(53)そのほか「カラー」「ワイド」「立体」「音響」「香り」「体感」等の各技術の違いで列記すると初物は沢山あります。●大抵の場合技術とは発表された時点で完成されたものは少なく、安定し普及するまで試行錯誤の過程があります。また普及せずに廃れていったもののほうが多いのも世の常です。上記以外、東宝(53)新東宝(54)日活(55)とカラー作品は50年代半ばまでに各社出揃いますが、コストアップ等ですぐには普及には至りませんし、作品内容などでも積極的に白黒を選択する場合があり、大手でも60年代半ば過ぎまでカラーと白黒は共存していきます。また早くも53年に東宝が戦前から開発していた自前の技術の3D映画(10分足らずの短編)を始めますが、その後現れては消える立体映画ブームの先陣を切っただけで、技術的な改革の主流はワイド画面(スコープサイズ)へと移ります。●「3D映画の普及」というのが最近のトピックですが、「如何にもこなれていない感じ」が初々しいといったところでしょうか。

— 梅原浩二


キネ旬のレビューコーナーが濃い!

2011/09/16 — 第239号

「キネマ旬報」9月上旬号の記事で、スピルバーグが監督ではなくプロデュースに回った時に、監督を担当する後輩に観ておくべき映画を教えるとあり、今まで薦めた約200本の作品が「スピルバーグのリスト」(←うまい)として羅列されていました。これがびっくりするくらい意外性のない王道であり、スピルバーグらしくて微笑ましかったです。◆ところでキネ旬が数ヶ月前にリニューアルしたことをご存知ですか? 全体のレイアウトがすっきりして、若々しい印象になりました。特筆すべきは今回のリニューアルの目玉と思われるレビュー(星取り)コーナー。レビュー自体は珍しくないですが今回キネ旬がとった方法は、毎号(月2回発行)24本の新作を各作品3人の評論家によって計72本(!)のレビューを掲載させるというもの。◆単純に考えて月に48作品・144本のレビュー。超話題作から低予算のドキュメンタリーまで幅広い作品が挙がっていますが、これはかなりの労力を要すると思われます。皆さんに紹介するのが遅れたのは、多分取り上げる本数が次第に減っていくだろうと思っていたからです(失礼)。◆毎月こんなに多くの映画が公開されているという驚きもさることながら、個人的には、記名の責任のもと「星取り」というシンプルな評価システムで多くの作品が論じられることが嬉しいのです。星取りという評価形態に賛同しない評論家も多いでしょうが、限られた予算で限られた作品しか観られない私たち観客にとっては非常にありがたい指針(のひとつ)です。劇場鑑賞派の減少を食い止めるというよりも、混沌とする映画界を再び盛り上げていきたいという意思表明にも感じられ、感銘を受けました。◆なお、独自の批評精神と映画愛に溢れる「映画芸術」「映画秘宝」も受付で大絶賛販売中なのは言うまでもありません。

— 花俟良王


正義 < 母の愛

2011/09/01 — 第238号

作家・海音寺潮五郎は、“人は自分に無いものを理解することはできない”という様な意味のことを書いています。なるほどと思いました。他人を信じることができない人は、人が人を信じる物語を読んだとしても理解はできないでしょう。損得勘定だけで物事を判断する人に、善意で行動すべきだと説いても徒労に終わるだけでしょう。また、人は正義だけを行なうべきだと考える人には、それが不正であれば他者にわずかな情けをもかけないかも知れません。■では自分はどうかというと、父親というものを知らずに育ったのでいわゆる“父もの”がまったくダメなのです。例えばエリア・カザンの「エデンの東」。初めて観たときは、あまりに何も感じないので自分の感受性に問題でもあるのかと思いました。いかに名作でも、どんなに多くの人に好かれている作品だとしても、私には父の愛に飢えたジェームズ・ディーンの気持ちを理解する素地がまったくないのでした。■逆に“母もの”には昔から滅法弱い。加えて、自分が父親になった今は子に対する親の思いの理解も若い頃とは違っています。そんな私のストライクゾーンど真ん中にきた映画が、9/4(日)〜8(木)に当館で上映する『八日目の蝉』です。そう長くは続かないであろうわが子との時間。その短い間だけでも、この世のすべての不幸からわが子を少しでも遠ざけていたい。どんな些細な心配も、わが子にはかけさせたくない。そういう思いが、切実に、本当に切実に伝わってくるのです。ただし、この物語の主人公の行動は正義かと問われれば、否です。正義より母の愛。これでよろしい! 前述の海音寺潮五郎の解釈でいえば、私が持っている正義の量は少ないようです。

— 関口芳雄


デジタルシネマと名画座の将来と「八日目の蝉」と「海炭市叙景」の二本立て

2011/08/16 — 第237号

デジタルシネマという大波が、いよいよ当館を含む中小の映画館やインディペンデント系の映画配給会社に迫って来ているようです。とは言っても分からないことだらけなので、先日、詳しい人に話を聞いてきました。▲デジタルシネマとは、デジタル撮影されたものをフィルムにすることなく、デジタル素材のまま映写することのようです。勿論35ミリ映写機は使えません。DCPというデジタル素材を、2Kと言われるブルーレイ水準よりさらに性能のいいプロジェクターで上映します。デジタルシネマ自体は2005年頃にハリウッドで統一規格が出来上がり、日本では3D映画「アバター」公開にあわせて多くの映画館に導入されましたが、しばらくは3Dを上映するシネコンなどに止まっていました。その最も大きな理由は、うん千万円するというコストの問題です。▲ところが、いよいよ大手配給会社が35ミリプリントを作るのを止めてDCPに一本化するという話が伝えられています。そうすると当館のようなロードショー館じゃない映画館も対応を考えなくてはならないのか、とか、また日本中がデジタルシネマが主流になったとき、3Dじゃないのに「八日目の蝉」「海炭市叙景」といった映画もDCPにしなければならないのか、といった懸念が各地で起こってきているようです。▲当館では「八日目の蝉」と「海炭市叙景」の二本立てを9月4日から上映します。勿論35ミリプリントです。両作品とも内容のある大変素晴らしい作品で、特にスクリーンに人間の体温が宿るような、映画ならではのみずみずしく繊細な演出と映像に、深く心を打たれます。全ての映画が「アバター」と同じような作品となる事態は貧しいと思います。▲映画ファンはデジタルとプリントのどちらを望んでいるのでしょうか。最も根本的と思えるこの検証が、あまり行われていないような気がします。

— 矢田庸一郎


惜別

2011/08/01 — 第236号

故・原田芳雄さんのお通夜に行きお別れをしてきました。焼香者が大勢のために1時間30分も掛かって到達した式場を見た時、映画館に入るような錯覚になりました。真っ白い生花でスクリーンに模った祭壇の中央に、原田さんの遺影が花に埋まっていました。主役の悲しい最後のシーンです。■文芸坐時代の1978(昭和53)年に創業30周年記念企画として、男優の人気投票を行った時、原田さんが第一位に選ばれました。原田さんは、文芸坐ファンに選ばれたことを大変喜んでくださり、オールナイトコンサートなどのイベントに出演してくれました。■浅草の近くの下町育ちというご縁と、歳も近いことから、昨年亡くなった歌手の浅川マキを含めて、親しくさせてもらいました。原田さんの遺作となった『大鹿村騒動記』を涙しながら観ましたが、俳優座養成所15期生の卒業公演を観ているので、原田さんの俳優人生の最初と最後を観たことになりました。■『ぴあ』の最終号を見ています。72(昭和47)年に『ぴあ』が創刊された時、無料の情報で商売することに批判の声もありました。当時の映画興行界は、観客減少で経営面で厳しい時代が続いていましたが、今の時代と大きく違って、学生を中心とした若者たちが、映画を観てくれていました。■当時、東京と地方の文化の格差は大きく、上京して来た学生にとっては『ぴあ』は必需品でした。名画座としても『ぴあ』は、宣伝媒体として貴重な存在でしたので、創刊号から文芸坐の受付で発売いたしました。その後『ぴあ』は、情報のシステム開発ビジネスに成功して大会社になりました。『ぴあ』の最初と最後を知ることになりました。■俳優の原点から知っている原田さんを葬送することになったり、創刊から知っている『ぴあ』が休刊になるなど、親しい人、馴染みの物が身辺から消えてしまう惜別は、虚しく寂しく辛いことです。

— 永田稔


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