まんすりいコラム:2005年

お陰様で、5周年を迎えました。

2005/12/16 — 第130号

新文芸坐は、20世紀末の2000(平成12)年12月12日にオープンしました。開場記念日を忘れないように、[12]並びのゾロ目の日を選びましたが、巨匠・小津安二郎監督の誕生日であり、命日であることを意識して決めました。今年で満5年になりました。ご来場いただいたひとり、ひとりのお客様のお陰と、心から感謝致しております。▲さて、今年も早いもので、あと数日を数えるだけになり、一年間を振り返る季節になってしまいました。今年の新文芸坐は、〈戦後60年企画〉を含めて、例年と同じように多くの特集番組を上映してきましたが、結果的に“追悼”特集上映が多くなりました。▲岡本喜八監督、石井輝男監督が亡くなり、百カ日も過ぎないうちに“追悼”特集上映を行ないました。また、11月の〈撮影監督・高村倉太郎〉特集の時は、高村さん本人が初日直前に亡くなるという突然の訃報が届いたり、17回忌の美空ひばり特集を含めると“追悼”上映が多かったことに納得させられます。そして、昨年〈脚本家・鈴木尚之の仕事〉で特集上映した鈴木さんも先月26日に亡くなりました。映画界、映画ファンにとっては、悲しい年になってしまいました。▲ところで、映画ファンの皆さんは、今年どんな映画に出会ったでしょうか。感動、興奮、刺激を受けた素敵な映画に巡り会えたでしょうか。新文芸坐は、今年600本近くの映画を上映しましたが、皆さんの心に残る映画が、その中にありましたでしょうか。これからも《感動はスクリーンから》をテーマに、様々な映画を上映していきたいと思っていますので、ご来場の程を宜しくお願い申しあげます。

— 永田稔


充実のラインナップ、「シネマカーテンコール」

2005/12/01 — 第129号

演劇などで、最後に観客が拍手で出演者を舞台に呼び戻すことを、カーテンコールといいますね。年末恒例「シネマカーテンコール」は喜びや感動を与えてくれた映画をスクリーンに呼び戻す特集です。●今年の目玉はヨーロッパの巨匠の二本立て『ヴェラ・ドレイク』&『ライフ・イズ・ミラクル』。市井の人々の日常をじっくりと緻密に描くM・リー監督と、政治や歴史に翻弄される人々を寓話的祝祭的手法でパワフルに描くE・クストリッツァ監督。正反対の手法の両巨匠、まさに見応え十分の二本立てです。●娯楽映画を気楽に、という方には『フライト・オブ・フェニックス』『セルラー』『50回目のファースト・キス』。●『フライト〜』は発想が面白い。砂漠に不時着した飛行機の乗客たちが危機を脱出する唯一の方法は、機体の残骸から新しい飛行機を造ること。えっ、そんなぁ〜。でもそこが映画。奇想天外なサバイバル・アクションが展開します。実はこの作品、名匠R・アルドリッチ監督作品のリメイクなのです。●『セルラー』はもっと面白い。青年の携帯電話に、誘拐された見ず知らずの女性から助けを求める悲痛な声が。彼女の命の希望は彼の携帯電話だけ! 状況がめまぐるしく変るノンストップ・スリラーですが、所々に笑いを織り交ぜるのが憎い。原案は『フォーン・ブース』の脚本ラリー・コーエン。なるほどって、感じです。●最後は笑って泣ける感動ラブコメ『50回目の〜』。主演はA・サンドラー&D・バリモアの黄金コンビ。ルーシーは前日のことをすべて忘れてしまう短期記憶喪失障害。そんな彼女に一目惚れしたヘンリーは毎日、彼女と初対面の出会いから始めて、愛の告白を……。上映日は12/29〜30の2日間、『セルラー』と二本立て。幸せな気分で年越しできること間違いなし。

— 矢田庸一郎


スモーキング ルーム(喫煙所)が完成しました

2005/11/16 — 第128号

私が、自宅近くの3本立映画館で映画を見始めた1950年頃の映画館は、場内に入ると、まず、たばこの匂いが鼻腔を刺激し、紫煙に揺らめく1本の太い光線が暗闇を切り裂いて走るのが目に飛び込んできました。たばこの火が、蛍のように所々で光っていました。その時代の映画館の普通の光景でした。◆1973年に文芸坐に入社した頃には、消防法により場内は禁煙になっていましたが、その頃、お客様からの苦情で一番多かったのは喫煙に対してであり、お客様同士のトラブルに発展する原因も喫煙でした。◆今、喫煙のマナーが社会問題になっています。街頭でのたばこのポイ捨ては、条例で罰金を取られ、新幹線では車両を、レストラン、喫茶店などでは場所を区別するようになりました。新文芸坐でもロビーの一角に喫煙コーナーを設けてきましたが、紫煙はあちこちに漂うもので、「全館禁煙にしろ!」という意見が多くなってきました。◆小泉首相のように郵政民営化に反対の者を党から追い出すような、喫煙者を映画館から締め出す“全館禁煙"という選択はできませんので、喫煙コーナーを仕切って喫煙所=スモーキング ルームを造ることにしました。ガラスで仕切り、自動ドア、エアコン、空気清浄機付きの豪華設備です。◆新文芸坐は、今年12月に5周年を迎えますので、特別企画を考えていたのですが、会社の社員教育にスタッフが順次参加を義務づけられ、日程が重なってしまい計画を断念しました。その代わりに喫煙所を設けました。今、映画館への苦情で一番多いのは、携帯電話に関することです。これからも映画を快適にご覧頂くための努力をしていきたいと思っています。お客様には、マナーを守って映画をお楽しみいただきたいと思います。

— 永田稔


アメリカに渡ったアイリッシュたち

2005/11/01 — 第127号

アイルランド系アメリカ人は約4000万人いて、これは全米人口の18%にものぼります。ちなみにアイルランド本国の人口はたったの400万人。移民の方がはるかに多いのです。米国への移住の主な理由は貧困(19世紀ジャガイモ飢饉)で、映画では「タイタニック」「遥かなる大地へ」などでその様子が描かれています。◆では米国に渡ったアイリッシュたちの暮らしぶりはどうだったかというと、「アンジェラの灰」のように、相変わらずの貧しさです。米国はプロテスタントの国。多くがカトリックであるアイリッシュは社会的差別を受けて、就く職業も限られていたようです。アイリッシュといえば“警官”“消防士”そして“ボクサー”がそのステロタイプで、映画でも「静かなる男」「ギャング・オブ・ニューヨーク」「バックドラフト」と枚挙にいとまがありません。◆そこで「ミリオンダラー・ベイビー」です。舞台は米国ですが、こてこてのアイルランドの匂いがします。ゲール語(≒アイルランド語)、カトリック教会、緑のガウン……。ヒロインの名“マギー・フィッツジェラルド”にしても聞けばそれととわかる典型的なアイルランドの姓です(アイリッシュ系初の米大統領J・F・Kのミドルネーム)。もちろん、ハリー・キャラハンもアイルランド系刑事(映画が違う!)。◆アイルランドはバチカンに次ぐ敬虔なカトリック国といわれ、子沢山で家族のつながりが強いことでも知られています。そういう背景を知れば、主人公ふたりの置かれたそれぞれの孤独感への理解も違ってきます。またアイルランド本国は中絶を憲法で禁止するような国であるということを知っていれば、主人公のとった命の選択もより重く感じられるでしょう。◆アイルランド話、次回は「シンデレラマン」でお会いしましょう。

— 関口芳雄


ATG時代と酷似している今の日本映画界

2005/10/16 — 第126号

昨年1年間の映画観客数は、21年ぶりに1億7千万人を突破したことが、ぴあ総合研究所の「エンタテイメント白書」で発表された。21年前の83(昭和58)年は、『南極物語』『E. T.』がヒットした年で、昨年は『ハウルの動く城』『ラストサムライ』のヒットと、シネコンの存在が動員に貢献していると白書に記されている。その観客の65%は、ハリウッドを中心にした洋画を観ている。邦画はアニメを含めて35%であるので、映画興行界は、完全に“洋高邦低”の時代である。◆シネコンは、動員状況に応じて人気作品の上映スクリーン数を増やしたり、上映期間を延長することができるため、より動員を増やす効果をあげている。シネコンのスクリーン数は、全体の60%以上を占めるに至り、その影響力は大きい。◆現在の日本映画は、大手映画会社に代わって、独立プロダクションが盛んに製作している。その独立プロ作品が、渋谷など都内の繁華街の映画館でロードショー上映されている状況は、60年代後半〜80年代に新宿文化、日劇文化で、ATG映画を上映していた頃と酷似しているように思う。◆ATG時代は、チャンスを得た若い才能が花開き、多くの監督がこの年代に最良の作品を世に送り出した(ATG特集を参照)。観客は、監督の名前で映画を選択するようにもなった。歴史は繰り返されて今、北野武、黒沢清、三池崇史監督などの映画は、監督名で作品をアピールしているし、一方で、『運命じゃない人』の内田けんじ監督のような若い才能も育ってきている。邦画に観客が集まり、動員で洋画を凌ぎ、“邦高洋低”の時代が来ることを期待したい。

— 永田稔


ATG映画

2005/10/01 — 第125号

60年代は、米国の人権運動、ヒッピー運動、ベトナム反戦運動、日本の学生運動が世界に波及した。若者たちの権力に対抗する運動が、全世界的に価値観を大きく変えた時代であった。◆この年代の日本の映画界は、TVに圧迫され産業として凋落の傾向にあった。興行的な見地から、芸術性の高い作品の輸入が途絶え、全国の映画館チェーンで公開するハリウッド映画一辺倒の上映になった。◆そんな時代、映画興行界の中で、質の高い外国作品を上映する映画館組織、日本アート・シアター・ギルド通称ATGが発足した。第一回公開作品は、62年4月のポーランド映画『尼僧ヨアンナ』であった。◆価値観の変化は、観客の映画選択肢の幅を広げ、やがて、洋画の芸術的な作品も一般映画館で上映されるようになり、ATGの初期の目的は達成した。◆一方、邦画の製作本数は激減し、芸術映画を製作する会社はなくなった。監督、俳優が中心になって、自ら映画製作に乗り出す独立プロが出現した。ATGは、独立プロに対して製作費1千万円映画を提案した。半分の5百万円をATGが出資し、映画館を提供するという内容である。第一回提携作品は、68年2月公開された大島渚監督の創造社が製作した『絞死刑』であった。◆ATGと提携、上映した映画は、日本映画の質的水準を維持したばかりでなく、既存会社では実現不能であった前衛的、実験的な作品を生み、大島渚、吉田喜重監督を始めとする多くの監督が海外で高い評価を得るキッカケになった。◆戦後60年企画第6弾として、ATG映画28本を10月8日から2週間特集上映します。ATG映画の“力”を観て欲しいと思っています。

— 永田稔


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