まんすりいコラム:2006年

映画館ですが、本も売ってます

2006/09/16 — 第148号

当館の書籍販売コーナーには、映画をより楽しむための本がズラリ並んでいるのですが、何も作家論や作品論ばかりという訳ではありません。先日、職業柄無視できないタイトルの本が入荷しました。映画批評家・映画学者である加藤幹郎さんの著作『映画館と観客の文化史』(中央公論新社)です。リュミエール兄弟が映画を上映する歴史的な日より前に存在していた“パノラマ館”から始まり、入場料ニッケル硬貨1枚(=5セント)だった初の常設映画館“ニッケルオディオン”や絢爛豪華な“ピクチュアパレス(映画宮殿)”、そして現在のシネコンやアイマックス・シアターまで、今まであまり語られてこなかった映画館と観客の歴史が綴られています。◆中でも興味深かったのは場内のマナーに関しての歴史。当館でも「上映中はお静かに」ということを(皆様うんざりするほど?)お願いしていますが、たまに年配のお客様から「昔の客は賑やかだったんだけどねぇ」といったお言葉もいただきます。確かに往年の映画の中にも、途中入場は当たり前、タバコを吸いながらワイワイガヤガヤ談笑し、ピーナッツの殻を撒き散らす、といった場内の描写を目にしますし、そんな時代を羨望する自分もいます。予告やアナウンスなどで静寂をお願いしだしたのも最近のこと、だから私も「そうなんですけどねぇ」などと答えていたのですが……。◆なんとこの本によると1905年頃のニッケルオディオンでは、スライド(幻燈機)を見ながらの観客の合唱(!)が終わると、映画の上映前に「大声でのおしゃべりや口笛指笛はご遠慮ください」「喫煙ご遠慮ください」「帽子はお脱ぎください」などといった注意書きがスクリーンに映し出されていたそうです。短編のサイレント映画しか存在しなかった時代、映画のありがたみがひしひしと伝わってきます。◆様々な要因でこの風潮は短命に終わりますし、だから皆様も上映中はお静かに、という結論にも結びつきません。ただ、今と変わらぬ苦労をする100年前の同業者に、感慨深くというよりかは、なんとも微笑ましく思いを馳せたのでありました。

— 花俟良王


内田吐夢の傑作『血槍富士』がニュープリントで蘇る

2006/09/01 — 第147号

内田吐夢の本名は常次郎。岡山出身、1898年生まれ。二十歳すぎ、横浜のピアノ製作所で働く。その頃、仲間たちから「トム」と呼ばれ、映画に関わるようになり「吐夢」と名乗った。●28歳で日活京都撮影所に入る前、旅芸人の一座に加わったり日雇い人夫をやったり、社会の底辺で生きる体験をする。これが吐夢のリアリズムを形作った。●『競争三日間』(’27)で本格的監督デビュー。名作『土』(’39)などを撮った後、’45年軍の映画を撮るため満州に渡るが映画は頓挫。当地で敗戦を迎える。中国の鉱山で肉体労働をさせられる。’53年にようやく帰国の途に。吐夢、55歳であった。●『血槍富士』(’55)は帰国後第1作。13年のブランクを越えて撮った作品だ。●武士・小十郎と槍持ち・権八(片岡千恵蔵)とお供の源太。3人ののどかな東海道の旅模様。小十郎は若く気立てのいい主人だが、ひとつだけ欠点がある。酒乱なのだ。源太も酒に目がない性質。ふたりは権八が目を離した隙に居酒屋へ。●クライマックスは俄かに訪れる。ふたりは酩酊した武士たちに絡まれ斬り殺される。駆けつける権八、だが時すでに遅し。なんと無残な姿に! 穏やかな男が怒りをあらわにする。造り酒屋の狭い中庭。槍を持って迫る。権八はただの下男。槍を怒りにまかせて振り回す。槍が酒樽を突く。酒がほとばしる。権八と武士が這いずり回り泥だらけになって死闘する。●数多い時代劇の中でも屈指の名場面。脚本家・鈴木尚之の『私説 内田吐夢伝』によると、吐夢が巨匠と言われるようになったのは、この殺陣を撮った翌日からだったという。

— 矢田庸一郎


昭和天皇に関する二つの話題

2006/08/16 — 第146号

夏が来て、8月15日の終戦の日が近づいたこの時期に、昭和天皇に関する二つのニュースが話題になっている。一つは、A級戦犯合祀を理由に、天皇が靖国神社参拝を取りやめたとする元宮内庁長官のメモが見つかり、社会に波紋を起こしたことである。小泉首相の靖国参拝が中国、韓国との首脳外交断絶の原因とされているが、さて、今年の小泉首相の靖国参拝はあるのだろうか、興味深い。◆もう一つは、昭和天皇が主役の映画『太陽』の公開である。『太陽』は、昨年2月ベルリン映画祭で絶賛され、世界12カ国で上映されながらも、日本では“現人神”と崇められた天皇が主役の映画に、製作資金の投資もなく、配給権を買う会社もなかったが、紆余曲折の末8月初旬に公開されることになった。◆メガホンを執ったのは、ロシアの幻想派監督アレクサンドル・ソクーロフで、昭和天皇の終戦間際から人間宣言に至るまでの日常をフィクションとして描き、昭和天皇に寄せる慈しみと愛情に溢れた映画である。◆戦争という悲劇に翻弄される中で、小柄で優しい、飄々としてユーモアのある暖かな人間味の天皇を、苦悩と孤独と家族思いのひとりの人間を、イッセー尾形は細やかな動作にまで気を配った淡々と抑えた演技、静かな台詞と形態模写で、監督の意図を見事に表現し切った。イッセー尾形の名演技があっての映画『太陽』である。◆『太陽』の中の昭和天皇も、靖国問題も、太平洋戦争が根幹にある。北朝鮮のミサイル発射事件における、政府高官の敵基地攻撃容認発言は、今の社会状況が戦争の時代に向って動いているように思える。この時期、真剣に“戦争”について考えてみよう。

— 永田稔


続・虚構の世界を創ること

2006/08/01 — 第145号

裏切り者を追ってひとりジャングルに迷い込んだ主人公。偶然出会った男がサーフボード(ジャングルですが)を何故か2枚持っている。1枚くれるというので受け取ると、突然津波(ここはジャングルです)が襲ってくる。幸運にもサーフボードを持っていた主人公は、大波に乗って崖っぷち(ジャングルのそばにあったんでしょう)に近づくと、幸運は重なるもので探していた裏切り者をそこで発見する…。■小学生でも思いつかない、ひたすら偶然に頼った展開ですが、10年前にこんな映画が公開されているのです。この近未来アクション映画はツッコミどころ満載の映画なのですが、最近でもまだ上映する映画館があるほどの人気です。それはその世界の神=脚本・監督を敬愛し支持するするファンが多いということなのでしょう。■前回のこの稿で、映画の脚本家について「多くの登場人物をチェスの駒のように自由に配置し好きなように動かせるというのは、神になったような気分なのではないでしょうか」と書きました。脚本家に限らず、物語を作るということはとりもなおさず人間、のみならず世界=宇宙を自由に動かせるということです。自由となると、人は意地悪です。世界が終始ハッピーな物語というのは面白くない。主人公には必ず試練が与えられます。公園の砂場でトンネルを作った男の子が、最後に怪獣人形を登場させるように…。■旧約聖書「創世記」では、人間は天地創造の6日目に神が自らの姿に似せ土から創造されたといっています。つまり人間(アダム=男性)の外見は神様に似ているというわけです。でも外見だけでしょうか? 日々のニュースを目にするにつけ、本当の神様もハッピーはお好きではないように思えるのですが。

— 関口芳雄


ゴローちゃんと観たい『ミュンヘン』

2006/07/16 — 第144号

最近、稲垣吾郎の映画評(感想?)が気になっています。そう、あの国民的アイドルグループ、SMAP(スマップ)の“ゴローちゃん”です。バラエティ番組の中で月に一度、指定された新作映画5本を観て彼がコメントしながらランキングする、というコーナーがあります。当初は多くの映画ファン同様(そうですよね?)「アイドルに何がわかるんだ!」と反論しようとしたのですが、どうもできない。トップアイドルのゆとりか特権か、テレビにありがちな当たり障りのない表現ではなく、淡々と客観的かつ利害関係無視の辛辣なコメントをするではないですか。最近では自局制作ドラマの映画化作品を酷評し男気を見せてくれました。そして何より目から鱗が落ちたのは、その月の1位に『インサイド・マン』を挙げ、満足気に「役者も良く、構成も凝っていて面白かった」とサラリとコメントを締めたことです。もし映画ファンが『インサイド・マン』を語るとしたら、“社会派の雄、スパイク・リーが撮った娯楽サスペンス”的な文句が出てくるはず。しかし「ゴローちゃん、スパイク・リー知らないの?」と言ったところで何の意味があるのでしょう。彼は映画の知識がなくても真正面から映画を楽しんでいる。評論を読んだり映画史を紐解く楽しみはあくまで付加価値であり、いかに自分が知識を頼りに映画を観てしまっているかということを痛感した次第です。◆さて、当館では『ミュンヘン』を上映します。監督のスピルバーグはハリウッド娯楽映画の代名詞として語られ続けている超有名監督。公開時スピルバーグは自分のイメージや『ミュンヘン』の持つ社会性から、メディアに作品の本質を曲解されぬよう取材や試写は極力避けたそうです。やはり余計な知識は必要ないのでしょう。だから私もここでは、心揺さぶられる力作です、ということと、そう言えばゴローちゃんも1位に挙げてたな、ということだけお伝えしておきます。是非ご覧ください。

— 花俟良王


黒木和雄監督に続いて今村昌平監督も逝く

2006/07/01 — 第143号

カンヌ国際映画祭で2度のパルムドールに輝いた今村昌平監督が5月30日に亡くなった。4月に亡くなった黒木和雄監督に続く訃報である。同世代の両監督は、共に“巨匠”と呼ばれるのに相応しい実績を残した。◆1926年生まれの今村監督、30年生まれの黒木監督は、青少年時代に未曾有の太平洋戦争に遭遇している。黒木監督は九州で、今村監督は東京で、日常生活を脅かす空襲を、そして敗戦を体験し、戦後それまでの価値観が180度変わった社会秩序の混乱した状況の下で、黒木監督は同志社大学で、今村監督は早稲田大学で学んだ。◆両監督の映画に共通していることは、青少年時代の戦争体験が色濃く反映されていることである。殺し殺されるという悲惨な戦闘場面はないが、生活する人々の悲しみ、苦しみ、笑い、愛、欲望など、時代に流されながらも懸命に生きる“さま”を描いている。◆黒木作品には、半世紀前の“あの時代”を二度と繰り返してはならないというメッセージが込められているし、今村作品は、戦後の闇市を体験したことで、人間を狂わせる“欲望”を正面から描いている。今、多発している金融証券事件は、拝金主義によるモラル無視の“欲望”の結果であり、現代人の心は、闇市の“あの時代”に逆戻りしてしまったようである。◆両監督は、いつの時代にも示唆を与えるであろう多くの名作を残した。また、後継者育成のために映画専門学校を設立した今村監督は、後輩に多くのメッセージを残したに違いない。その作品や言動を後世に伝えていきたいと思う。今年の夏恒例の特集《映画を通して戦争を語り継ぐ》は、急遽、両監督の追悼番組として8月5日から3週間上映する。

— 永田稔


2 / 4123...最後 »