まんすりいコラム:2015年

新文芸坐、15周年を迎えます

2015/11/27 — 第321号

■ある脚本家の方が、学生時代に旧文芸坐で頭がおかしくなるほどたくさんの映画を見ていたそうです。「映画を見過ぎて、頭がぼーっとなっていたある日、突然なにかプツンと切れて、映画がわかるようになった」と言っていました。■私は旧文芸坐に足を踏み入れたことはありませんが、このような話をよく聞きます。映画の文化を発信するシネマテークのような存在で、多くの人に愛された映画館だったのだと思います。■旧文芸坐は幕を閉じましたが、新文芸坐になった今でも、多くの映画人の方々にご来館いただいています。また、今通っているお客様の中から、新たな映画人が誕生するのを楽しみにしています。■新文芸坐は今年12月12日で、15周年を迎えます。いろんな人の熱意や情熱で成り立ってきました。そして何より、みなさまの暖かいご支援のおかげと、心より御礼申し上げます。みなさまが当館で過ごす時間すべてが、感動の時間となるように、日々努力していきたいと思います。

— 渡部麻美


11/13(金)「ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還」 日本最終上映の理由

2015/10/23 — 第320号

当館のロビーにはご意見箱が設置されていまして、様々なご意見や要望に混じって上映作品のリクエストも多く寄せられます。番組編成の参考にさせていただいており、感謝しております。しかし、せっかくリクエストを頂いたのに、外国映画の中には残念ながら映画館で上映できない場合があります。今回はそのお話。■映画業界は、製作・配給・興行の3者から成り立っています。映画の製作者と映画館(興行)を結び付けているのが配給会社です。製作・配給・興行を1社で行っている大会社もありますが、ほとんどは配給のみを行っている独立系(インディペンデント系)の配給会社です。独立系配給会社は海外から映画を買い付けてそれを日本の映画館に配給して収入を得るのですが、買い付けの際に上映期間が決められています。この期限を過ぎると映画館で上映できなくなるのです。■例えば当館で毎年上映してきた「ロード・オブ・ザ・リング」(以下、LotR)シリーズは3部作の大作ですが、第1作が一昨年に、第2作「LotR 二つの塔」が昨年に上映期限が切れ、そして第3作「LotR 王の帰還」が本年11月14日をもって上映期限が切れます。その前日11月13日に当館で「LotR 王の帰還」を上映するので、これが日本最終上映ということになりましょう。長大な原作「指輪物語」の大団円にして、アカデミー賞11部門を獲得した本作、ぜひスクリーンで観ておいてください! 平日の上映で心苦しいのですが、ファンの方々には万難を排して新文芸坐にご来場いただきたいです。■希望がないわけでありません。上映期限切れとなった映画の中には再びスクリーンに復活するものもあります。が、それはまた別のお話……。

— 関口芳雄


休憩所

2015/09/25 — 第319号

最近、自分が映画館へ行くのは映画を観ることに加えて、もうひとつ別の理由があることに気がついた。それは孤独になるためである。■映画が上映中はケータイの電源をOFFにしなければならない。ケータイの電源を切るのに抵抗を覚える人がいるのもわかるが、私の場合、この行為が許されていることこそ、映画館に来る理由のひとつである。■ケータイの電源をOFFにするということは、誰かとの繋がりを一時的に断つということだ。メールやSNSが普及した昨今、自分が誰かと常に繋がっていることが半ば当たり前のことになっている。それによるいい出会いもあるのだが、一方で、誰かと繋がっていることで疲弊する、いわゆる「SNS疲れ」に陥ることがままある。映画館はその要因の一つであるケータイ電話の電源をOFFにし、誰かとのつながりを公明正大に断つことが許された場所だ。■繋がりが断たれれば、あとは他の人へ迷惑をかけなければ自由。喜劇に顔を綻ばせ、悲劇に涙を浮かべ、ホラーに背筋を凍らせてもいい。また、映画の世界へ入り浸るのはもちろん、ぼんやりとスクリーンを眺めているだけでも、座席に身を預けて舟を漕いでいてもいい。ただし、いびきは厳禁である。自分の人生は銀幕に映る映画に介在しない。座席が満席であっても、上映中は孤独な傍観者でいられる。映画館はどっぷり孤独に浸れる場所なのだ。■つかの間、孤独を味わえば、また歩き出せる。また人の繋がりの中に身を沈め、疲れたら映画館へやってくる。映画館は休憩所も兼ねていたのだ。

— 浜本栄紀


こわい言葉

2015/08/27 — 第318号

■「お久しぶりです」が、こわい。目の前の相手にまったく見覚えがないからだ。この二カ月で、すでに二回あった。お客様からの言葉ではない。目の前の相手の、はにかみつつも期待に満ちた表情を見れば分かる。この人は、この私の、個人的な知り合いだ。■チケットの半券を渡しながら「ごゆっくりどうぞ」を言おうと口を開いた私に、目の前の見知らぬ(はずの)相手は言う。「お久しぶりです」。開けた口をどうしていいのか、分からない。言うべき言葉が「ごゆっくり」でないであろうことは分かる。■きっと面識があるのだ(見覚えないけど)、「どちらさまですか?」って聞ける相手だろうか(失礼だからやめておけ)という脳内会議を経た結果、「……あーどうもー」と曖昧な笑みを浮かべてこちらも知っている風を装うという、姑息な作戦に出ることになる。■ちなみに冒頭の「お久しぶりです」は、一人が取引先の人(眼鏡がコンタクトに変わっていて分からなかった)、もう一人が新文芸坐の元オールナイトスタッフ(オシャレになりすぎていて分からなかった)だった。動揺を隠せていなかったであろう私に先方が名乗ってくれたのである。■久方ぶりの知人には「お久しぶりです」を言う際は詳細な名乗りを上げてほしいものだとしみじみ思う。私の心の平安のために。■しかし、いま私が恐れているのは、「お久しぶりです。●●です」と名乗られてもなお、その相手に心当たりがない、という事態に遭遇することだ。ミステリ、ホラー、ラブロマンス……フィクションならば、そこから物語が始まるのだが。

— 小澤麻梨子


7/26より、映画で検証する戦後70年

2015/07/24 — 第317号

わたしは昭和38年生まれです。高度成長のまっただ中に生まれました。わたしの父や母は、子供の頃、終戦を迎えています。空襲を逃げた話を父や母から聞いています。祖父や親戚の家に行くと、軍服姿の青年の、薄茶色に変色した写真が飾られていました。繁華街に行くと、そこには傷痍軍人の姿がありました。わたしたちの世代は、戦争の残滓のようなものを見たり聞いたりして育った最後の世代かもしれません。

戦争が終わって70年が経ちます。戦争の体験者も少なくなり、社会全体の戦争の記憶も薄れてきていると思います。それ自体は悪いことではないかもしれません。曲がりなりにも平和な世の中が続いたわけです。戦争なんて大昔の出来事。命令されて人が殺し合うとか、町中に爆弾やミサイルが降ってくるとか、戦争反対など時の権力の方針にはむかうことを言うと捕まってしまう、とかいった話は、今とは無縁の世界。心配無用と楽観できれば、なんて素晴らしいことでしょう。

戦後70年を期に、映画を通して、日本の歴史をたどる上映会を行います。7/26より第1弾「戦後日本の歩み、11の断面」として東京裁判、帝銀事件、松川事件、下山事件、沖縄、水俣、三里塚、連合赤軍、そして日本国憲法といったことをテーマにした映画を上映します。第2部は8/12より「日本の戦争/今こそ、反戦平和の誓いをこめて」。実際に戦争を体験した映画人たちが、心の底からの思いをこめて作った映画たちを上映します。

戦争を知らない若い世代にこそ見てほしいと思います。必ず発見があるはず。なにかを考えるきっかけになればいいと思います。そのような思いから学生の方は入場料金500円にしました。

— 矢田庸一郎


長い間、ありがとうございました。

2015/06/23 — 第316号

私が社会人になったのは64(昭和39)年で、半世紀を超えました。文芸坐から42年間映画興行に携わってきました。新文芸坐になってからも15年になります。もう、十分に働いたので、新文芸坐を辞めます。■池袋の裏通りの小さな映画館の落成式に、代議士、豊島区長、映画会社々長など、錚々たる名士がお祝いに駆けつけてくれました。杮落としには、ゲストに山田洋次監督を初めとして、大勢の映画人が来場して華を添えてくれました。■新文芸坐は、文芸坐時代の人脈を引き継ぎ、その後、交換した名刺が3500枚もあり、多くの人々にお世話になり、ご協力に支えられて興行をすることができました。本当にありがとうございました。しかし、真っ先に御礼を申し上げなければならないのは、興行の原点であるご来場いただいた多数のお客様です。お客様とのちょっとした会話と笑顔が、興行者としての悦びでした。本当にありがとうございました。■お世話になった映画業界、マスメディアなどの皆さん、ご協力を頂いた俳優、監督、映画人、落語家の皆さんと、多くのお客様との出会いが私の財産です。お互いに映画を観続けて、笑い、泣き、感動、感激しましょう。長い間本当にありがとうございました。心より感謝申し上げます。

— 永田稔


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