スタッフコラム

1973〜2013年の40年間を回顧する

2013/08/29 — 第286号

1973(S48)年9月に文芸坐に入社した。今年で40年になる。当時の文芸坐は、文芸地下劇場と二館だけの営業で、お客様の賑わいよりも、映画青年たちの出入りが多かった。映画青年は、16mmや8mmフィルムで映画を撮っていた。映画製作、撮影、評論など、シーン毎について熱く語り合い、議論が白熱して人生論、芸術、スポーツ、社会全般にまで話題が飛躍していった。■何年か経って、第一線で活躍する映画監督や、各分野で才能を発揮するクリエイターたちの中に、文芸坐に通っていた映画青年たちがいたことを知った。ちょっとした梁山泊の様相を呈していたと言えようか。■文芸坐の受付では、映画青年たちが作成した名画座のスケジュール表を売っていた。間もなく、小冊子「ぴあ」が書店に並び、若者たちのバイブル的存在になった。その「ぴあ」は、ITの発達で一昨年休刊になった。この40年間は、歴史的な情報革命の時代であり「ぴあ」の盛衰史でもあった。■文芸坐では、『文芸坐しねぶてぃっく』、小劇場『文芸坐ル・ピリエ』、『文芸坐の喫茶店』などが造られた。1997(H9)年3月に文芸坐が老朽化のために閉鎖することになったが、マルハンによって、2000(H12)年12月に新文芸坐として再開した。文芸坐の幕引き、新文芸坐の杮落としに立ち会った。■1975(S50)年に特集した『フィルムフェスティバル』では、文芸坐に集う映画青年たちの協力を得て、3分間の予告編を作った。二本立て一週間上映の常識から、日替わり、二日替わりの特集番組編成の原点は、この時期にあった。ハード、ソフト両面で“スクラップ&ビルド”の40年間であった。

— 永田稔 検索