スタッフコラム:2021年

メロンソーダと一緒

2021/04/14

■かつて存在した世、平成。時代の終わりが来るとは考えもしなかった頃、新文芸坐にはドリンクバーが導入された。ジュースを何にするか決めるとき、「映画館にはメロンソーダです」と言えば、「へえー」「そうなの?」という返事が返ってきた。以前、友達に同じことを言ったら同意され、一緒にメロンソーダを買ったことがある。一人の同意だけなのに皆そういう風に思っているのだと勘違いをしていた。私はなぜ映画館とメロンソーダの組み合わせが好きなのだろうと考え、思い出した。楽しい。■小学二年生の頃、9月3日に製造されたロボットと0.93秒で眠りにつくことの出来る少年が主人公の冒険映画を見に行った。家の近所に映画館は一つしかなく、前売券制度もまだなかった。劇場には朝から行列が出来る。大人は買い物に行き、友達と、友達の兄と、その友達の兄弟で、ずっと階段に立っていた。私の時間間隔では5時間くらい並んだと感じている。急に男の子たちがいなくなった。笑いながら戻ってきたと思えば、またいなくなる。私と友達は、しりとり等をして待っていた。彼らがまた戻ってきた。手に紙カップを二つ持っていて、一つ渡される。フタから薄い緑がすけていた。透明な川の水を幾つも重ねた様な色に違和感があり、炭酸も苦手なので、自分では選ぶはずのない飲料。せっかくくれたのだから仕方なく飲む。渇いていた喉にスッキリと入っていく甘い刺激。■同世代の子に初めて御馳走してもらい、小さな冒険をした経験。共感してくれたあの子にもメロンソーダエピソードがあるのだろう。たとえ色が好きなだけだったとしても、それはそれで良い。■時は令和。当館のドリンクバーにはメロンソーダがない。けれど自動販売機にはある。他の映画館でもレギュラーメンバーになっている。メロンソーダが滅びることはないだろう。自信を持って言える理由は簡潔。クリームソーダが大人気だから。メロンソーダはクリームソーダの下半身なので。

— 山下萌


愛しのサンゴ―

2021/03/15

 30年余りの名画座人生の中で一番驚いたことはフィルムの時代が終わったこと。「じゃあ何を掛けているの?」と思った方は、わたしより一回りか二回り年上の方ではないか。現在の方法は、データをサーバーにインジェストしてDCP用DLPプロジェクターに出力し投影、となる。映画を掛ける時代は終わったのだ。DCPとはデジタル・シネマ・パッケージの略で、フィルムに替わる上映用素材。DLPとはデジタル・ライト・プロセッシング。デジタル画像を投影する技術を指す。
 2006年ぐらいからDCP上映が始まったようだが、日本で本格的になるのは2009年の『アバター』の公開のころだったと記憶する。まだこのころは35(サンゴー)の名で親しまれた35mmフィルムとDCPが併用されていたが、数年後には35の供給が終わると言われ始めた。一千万円程のDCP用映写設備を入れないと映画が映せなくなるというのだ。中小の映画館にとってまさにデジタルという黒船の到来だった。
 今や日本の映画館の85%以上がシネコンだが、そのほとんどで35の映写機は撤去されたのではないか。35の映写機は生産中止となってすでに久しい。当然、部品も作ってない。
 ここからやや愚痴めいた話になる。東宝、松竹、東映といった邦画大手の倉庫には、今でも膨大な数の35の映画が保管されている。DCP化されているのは例えば映画監督でいえば小津安二郎、木下恵介、黒澤明といったほんの一握りの巨匠だけ。しかもこれらの巨匠の映画ですら全作品がDCP化されているわけではない。例えば、今年の正月、黒澤明特集を開催したが『悪い奴ほどよく眠る』などは35で上映した。映画ファンに人気のマキノ雅弘監督の映画は、勿論一本もDCPになっていない。ほとんどの映画館に35の映写機がないというのに、大手といえども、いつまで35を保管しておいてくれるか。フィルムの劣化の問題もある。フィルムは物である。いつかはぼろぼろになり映写機に掛けられなくなる。
 つまりこういうことだ。もし現状のままが続いたら、ビデオや動画配信以外で、つまり映画館で、例えばマキノの『日本侠客伝』を見ることができなくなる日がいつかやってくる。ちなみに『昭和残侠伝 死んで貰います』は既に東映に使える35はなく、国立映画アーカイブの35を掛けている。

— 矢田庸一郎


後始末

2021/02/19

「とにかく多少の欠点はあっても、おれは三船に惚れて、あいつの素晴らしい個性と格闘したことで、自分としては『姿三四郎』以後、今までの何か暗い、もやもやした壁を突き破って、新しいおれ自身の世界へ飛び出したような気がするんだ…」

これは共同で脚本を書いた植草圭之助が『酔いどれ天使』の欠点について話したときの、黒澤明の返事だ。黒澤の信条からすれば、三船敏郎が演じたヤクザの生き様は否定されるべきだが、シナリオ段階ですでにヒロイックに描かれていた。そのまま撮影が始まり、結果「酔いどれ天使」たる主役の志村喬を食う、三船の悲劇的なギャング映画が生まれる。また、黒澤は映画製作に広く厳しく関わるが、その黒澤が三船の演技に注文をつけたことはなかったらしい。それは三船が優れた俳優だったからだろうか。それだけとは思えない。なにかこう、黒澤にとって三船敏郎という生が不可欠だったのではないか、と空想してしまう。『酔いどれ天使』の後、三船は多様な役柄を演じていく。先達に導かれる無鉄砲な若い警官、若者を導く老医師、それらは大なり小なり黒澤明自身だったはずで、黒澤は役を与えることで三船に自分の人生を生きさせ、ある局面における行動一つ一つを間近で見たかったのではないか。「君ならどう演じるんだ」「僕はどう生きればいいんだ」と。

なぜこんな話を? 一年前、僕は黒澤&三船特集のチラシの、黒澤のプロフィールを書くことになった。黒澤をろくに知らない俺が書いて大丈夫か…と怯んだが、まあ添削してくれるはずだ、と本を片手に書き上げた。チラシが出来たのが昨年末。何気なくチラシを読むと、「三船に「世界のミフネ」の称号を冠させた」と、短絡的に書いた僕の言葉がそのまま載っていたのだ。これは軽くトラウマティックで、その後チラシを見られなかった。言うなれば、このコラムは後始末だ。「世界のミフネ」は黒澤の功績なのか。『羅生門』は彼を世界的に有名にしたし、そもそも黒澤がいなければ俳優を辞めていたかもしれない。しかし、黒澤が三船に「世界のミフネ」と冠させたならば、その黒澤に「世界のクロサワ」と冠させたのも三船敏郎だったのではないか。

— 新井暁介


映画は映画館で観るもの

2021/01/15

最近、「映画は映画館で観てなんぼだな」と改めて思ったことがあります。ある海外のアクション映画のDVDを自宅で観ていました。昨年テレビを買い替えたので、自宅での鑑賞環境は格段に向上しましたし、映画も面白かったので満足度は高かったです。その後、その映画を新文芸坐で上映することになり、試写を行ないました。一度観ていますから、見どころがどのシーンかはバッチリ分かっています。「あのカーチェイス、このくらいの音量でどうだろう?」なんて思いながら、映写室で音量を合わせて、3Fに下りて音を聴きました。……すごい轟音! 軽い振動も伝わってきました。もちろん、大画面ならではの迫力もあります。「映画館ってすごいところだな」と、改めて思いました。

それ以外にも、映画館で観ると楽しいと思う理由はいろいろあります。映画館は不特定多数の人々が一緒に楽しむ場所ですので、他人の影響を受けることがあります。スリラー映画で、場内に緊張感が張り詰めているとき、そして観ている人全員がとても集中しているのが分かるとき、「なんか、いいな」と思います。「この映画寝そうだな……」と思っていたけど、映画が始まったら私ではなく、数席隣の男性がぐわんぐわん揺れながら寝ていました。そしてその姿を見ていたら、私は目が覚めてきて、映画に集中できたことがあります。映画中に寝てしまうのは悔しいですが、それもひとつの映画体験で、後々「あのよく寝た映画」として、その男性の記憶に残るだろうと思います。数日前に観に行った映画は、エンディング曲がとても面白くて、笑ってしまいました。妹とわたし以外に笑っている人がいなかったので、エンドロール中に笑い声を一生懸命抑えていたのですが、人間「笑っちゃいけない」と思うほどおかしくなってくるもので、笑いを堪えるのが大変だったことしか覚えていません。

このご時世ですから、「映画館でたくさん映画を観よう!」と大きな声では言えませんが、今年もできれば映画は映画館で観たいなと思うのです。

— 泉未来


明けましておめでとうございます

2021/01/01 — 第358号

日頃より、新文芸坐をご愛顧いただきまして誠にありがとうございます。

2021年も変わらず皆様にとって新たな感動や発見、出会いに満ちた場所でありたいと願っております。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

新文芸坐

関口芳雄 矢田庸一郎  花俟良王
後藤佑輔 梅原浩二
柳原弘 小澤麻梨子 山下萌 浜本栄紀 泉未来
新井暁介 平山晋也 小池桔平 矢内さくら 鹿取晋哉 山木理沙

— スタッフ一同


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2021/01/15
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2021/01/01
明けましておめでとうございます
2020/11/13
正直、まだ実感できていません。

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